The New Odyssey(シリア難民):火事が起きている家には戻れない
2011年チュニジアから始まった「アラブの春」は、ずっと変わらないと思われていたアフリカの独裁体制を有する国々(エジプトとかリビアとか)の体制を壊しました。
独裁体制の中で、体制を転覆させるほどの大規模デモが起きた背景には、当時加速度的に広まっていったスマートフォンやSNSの力が大きいと言われていました。
・新しいテクノロジーによって
・それまで抑圧されていた人々はインターネットを通じて、
・各々「自由な意見」を表現、共有できるようになり
・結果的に国家体制まで変えられる
という、自由と民主主義を信奉する立場から見ると、アラブの春は素敵な物語に見えていたものです(アラブの春当初は)。
でも、何十年も続いた社会がそんなにすぐに変わるはずもなく、むしろ各国は混乱してしまったのが実際です。
このアラブの春で最も混乱し、内戦により50万人近くも死者を出しているのがシリアです。本書において著者が取材したシリア人のハーシム(37歳公務員 妻と子ども3人)の境遇は、シリアの一市民の様子をリアリティをもって伝えてくれます。
私も当時
「よくあんなボートに乗って地中海を渡ろうという気になるな」
とニュースを見ながら思っていましたが、本書の第1章を読むだけで祖国を逃げ出したくなる理由がよくわかります。
以下、ハーシムの場合(ちなみにハーシムは反体制派でもないただの公務員です)。
・ハーシムが家にいたらいきなり連行され、空港の地下牢に数百人とともに押し込められる。
・そこでは毎日4~5人ずつ拷問室に連れていかれる。ハーシムは手首を縛られ、12時間吊るされる。
・数か月後、釈放されるも内戦悪化に伴い、自宅は破壊される。
・シリアに行き場がないと判断しパスポートを申請したところまた逮捕される。監禁されて殴られる。
やっと運よく(かなり運よく)パスポートを入手できるも、その後シリアを出るだけでも大変な困難が待ち構えています。シリアを脱出しエジプトについたのちも迫害され、結局、地中海を超えヨーロッパ(スウェーデン)を目指すことになります。ヨーロッパについてからも多くの困難に直面します。本当にオデュッセイアのようです。
ただし、オデュッセイアと違う点は、ハーシムは今、現在、私たちと同じ時代に生きている人物であり、本書の内容は同時代に起きているということです。
本書を読むと、いくら欧州側が難民の受け入れを拒否し、フェンスを作ろうとも、移動してくる側はそんなことで諦めたりしない、ということがよくわかります。火事が起きている家から逃げ出そうとしている人たちに対して、「家に戻ってください」と言っているようなものですから。
失敗の本質
この本は、大東亜戦争における日本軍の戦い方、負け方を分析し、日本軍、日本人が失敗に至る原因を探る書籍です。
などと、改めて紹介する必要がないほど有名ですが、今回読んでみて、この本は左翼的な「自虐」とはまた違った自虐本だなと思いました。
左翼的自虐に関しては
「日本人は戦争のときに他民族に迷惑をかけた悪い国だ」→「悪いことしてごめんなさい」
などをすることで、自分たちの心の負い目を減らすことができるかもしれませんが、
この本が列挙している日本人のダメさ(目的曖昧、空気で決めるなど)については、
「今も日本人って変わってないし、これからも変わらないんじゃないか?」
というのを沸々と感じて、今後何をしたらいいのかも思いつかず、読んでいたら気分が滅入ってきて落ち込むだけになりかねない本です。
ということで本の内容ですが、まず、なぜ日本軍の戦い方、負け方を分析することで、日本人の失敗の本質がわかるかというと、
そもそも軍隊とは、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。
そのとおりで、やっぱり、ある国が近代的総力戦に勝とうとすると、目的を達成するためにその国の組織・資源を最適化、効率化していくはずです。それなのに、本書の第一章で列挙されているように、日本は情けないほど無残に負けていきます。
その原因は、第二章の見出しに書かれているとおり
あいまいな戦略目的 と 主観的で機能的な戦略策定ー空気の支配
の大きく2つです(本書では他にもたくさん書かれていますが…)。
まず、あいまいな戦略目的についてですが、戦略目的があいまいだと、誰もが目的を解釈し放題になります。例えば「世界平和」みたいな目的については誰も反対出来ない代わりに誰もが好きな解釈ややり方をすることが可能です。
よって、現場が良かれと思って思いつき戦略を出してきたときに、その思いつきを止めたり補正したりする上位の価値観として機能しなくなります。さらに、組織全体が同じ目的、目標、手段を共有できず各組織がばらばらに行動することになります。
また、日本軍では、中間管理職が短期的戦略を思い付きで決めたあと、その思い付き戦略に当てはまる事実を中間管理職以下が当てはめていく(本書ではこれを主観的で帰納的と呼んでいる)手順を採っていきます。
その短期的戦略を決めるのは、事実でも論理でもなく、中間管理職の声の大きさや、ボトムアップの根回しや合議による空気によって決まっているため、事実と乖離した状況があとで発生すると、先に進むためには大和魂で押し切るしかなくなります。
で、これらって、今でも典型的に日本のブラック企業や役所に起きていることじゃないか、と思うわけです。
ワタクシの個人的経験(欧米や日本での民間企業勤務や自治体勤務)からイメージ図を作ってみると、こんな感じ。
(大東亜戦争は10年もやっていませんが)
日本人は短期的な目標に対して、リソースを投入します(徹夜も厭わない)。でも全体を包括する目的、物語が弱いです。微視的なので、何をどこまでやっていいかわからず、重箱の隅まで綺麗に整えようとします。でもどこに向かっているのかは誰もがよくわかっていません。
街並みで例えると、それぞれのビルや建物、側溝や公園は各々綺麗です。でも全体的に不調和です。
一方、欧米(だけかは知りませんが)は、組織を包含する目的を作ることにリソースを投入します。数か月、数日レベルは、後から補正すればいいよ、くらいの気分です。なので、細かい仕事は雑な感じです。短期的な処理はすぐアウトソースするし。
(でもイギリス人もいざとなると徹夜してました)
街並み全体は美しく見えるけど、足元はたばこやゴミだらけ、みたいな感じ。
なぜこのような傾向になるかの考察は「失敗の法則 by 池田信夫」に書いています。
日米欧の傾向に優劣をつけるつもりはありませんが、長期的視野、科学的思考はもっとあってもいいと思います。ただどうやって手に入れるのかは難しい問題です。
※第一章のそれぞれのケース(ノモンハンとかインパールとか餓島とか)に特に興味がなければ、第一章は読まなくていいと思います。読み物としては読みにくいため。
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08/01
- メディア: 文庫
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人工知能(ハーバードビジネスレビュー)
続けて人工知能の本です。ハーバードビジネスレビューの人工知能に関する論文をまとめて書籍にしたものです。
人工知能の特徴がよくまとまっているのは、第2章の「人工知能はビジネスをどう変えるか」の部分です。
ー以下、抜粋(一部加工、追記あり)ー
〇これからの人工知能を支える基本要素
・データ
・情報処理力
〇機械学習によるAIの利用用途
・識別
・予測
・実行(文章、画像、音声生成や、組み合わせ問題最適化、作業自動化)
〇AIができないこと
・意思がない(欲望、価値観がない)
・人間のように知覚できない(価値観がない)
・事例が少ないと対応できない(データ量と精度に相関がある)
・問いを生み出せない(欲望がないから課題設定ができない)
・枠組みのデザイン(個別最適はできる)
などなど…
今後の技術の変化により、AIができないこと、は減っていくかもしれませんが、現時点では、根本的な人間との違いである「意思、欲望がない」がある限り、意思、欲望につながる「問いの設定」や「枠組みのデザイン」は、今後しばらくは難しいままだと思います。
ということで、今後、人間が引き続き仕事を続けようとするならば、上記のAIができないことたち、を選ぶほうがいいということになります。
また、これは私見ですが、人間の五感のうち、視覚と聴覚については既にデジタル化されており、無料でインターネット上で配布されていますが(正しくは広告とセットで配布されマネタイズ化されている)、触覚、味覚、嗅覚についてはまだデジタル化、定量化する技術(センサー)が及んでおらず、AIの基本要素である「データ化」が進みにくいかと思います。
いつかわかりませんが、今後、嗅覚、味覚、触覚の定量化が進み、食事もダウンロードできる、ドラえもんの「グルメテーブルかけ」ができる日が来るかもしれません。もしこれらもデジタル情報として扱われるようになれば、現在、書籍(視覚)や音楽(聴覚)などの小売、卸売はamazonやgoogleなどに駆逐されたように、飲食店も激減する日がくるでしょう。
最後に、少し古いですが、コンピュータによってなくなる仕事予測のリンクを貼っておきます。 by Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne。
THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?
http://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf
人工知能―――機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)
- 作者: DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/09/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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人工知能は人間を超えるか
巷間、「人工知能」や「AI(Artificial Intelligence)」という単語が、様々な思惑とともに流行しているようです。ワタクシも流行に乗って概要でも理解してみようと手に取ってみました。
まずは、松尾豊氏の「人工知能は人間を超えるか」です。
ちなみに、この本を読む前に、下の「人工知能とは(人工知能学会)」を読もうとしたのですが、この本、可愛らしい表紙デザインの割に中身は難しいので(専門家の対談集)、初心者はやめたほうがいいです。
ということで「人工知能は人間を超えるか」です。第1章は人工知能の定義からです。人工知能の定義は、色んな専門家でも定義が分かれています。
究極的な目標としては、松原仁氏による「究極には人間と区別がつかない人工的な知能のこと」だとワタクシも思いますが、現時点、人間の脳の活動(脳以外の機能も含めて)がわからないことだらけなのを考慮すると、現実的で到達可能な定義としては、
「人工的につくった知的な振る舞いをするシステム」
くらいが妥当な定義でしょう。
本書では、単純な制御の話からディープラーニングまでわかりやすく記述されていますが、やはり最近の人工知能の流行の起点となっているのはディープラーニング(第5章以降)です。
ディープラーニング以前のアルゴリズムでは、基本的に「教師あり学習」であり、
・あるデータの集合をA、B、C…に分類する
・組み合わせが膨大な集合から最適なものを探す
などの問題を実行するプログラムを作る際には、「人間が設定した」特徴量(パラメーター)が大きな意味を持ちます。上記のような問題を解くプログラムを作る人間は「人間ならこう答える」という答えを知っているので、プログラムがアウトプットする答えが人間が知っている答えに近づくように、パラメーターをいじっていろんなチューニングを施します。
例えば、
画像データを読み込んで猫かどうかを自動判定するプログラム
を作るとしたら、まず「猫って何?」を人間がプログラムに教える必要があります。コンピューターは「猫」も「耳」も知らないから、プログラムの設計者は、猫の耳の特徴量として、
「とがった」「三角形の」「このくらいの大きさのが」
「ここらへんに」「2つ」「色は」
とかなんとか(特徴量)を教えていきます。
そしていろんな特徴量を作ってみたあと、インプットとして猫の画像をいくつか入れてみたら、
70%当たった! 次は80%に近づけよう!
みたいなことを繰り返して精度を上げていきます。
少なくともワタクシが学生やエンジニアのときはこんな職人技により制御や自動化プログラムは作られていました。
じゃあ、ディープラーニングは何がすごいかというと「特徴表現をコンピューター自らが獲得する(かも)」というところです。大量の猫が映った画像をプログラムに突っ込んだら、猫の特徴量をコンピューターが勝手に出してくれるということです。もし「Yという(定量的に表現できる)アウトプットを出したい、大量にデータX1…Xnならあるよ」という状況があるなら、ディープラーニングは向いているかもしれません。
ただその精度を上げるには大量のデータが必要なので、今後大量のデータを持っている企業(google, amazon, facebookなどなど)がますます強くなるでしょう。
最後に
人間の目的は「個の保存、種の保存」であることに対して、人工知能の目的は(今のところ)「誰かに与えられた問題を解くこと」なので、まだシンギュラリティとか人工知能に怯える必要はないかなぁと思います。
ただ、人工知能の目的が「個の保存、種の保存」になってくると危ない気がします。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
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沈黙(遠藤周作)
マーティン・スコセッシの「沈黙」のレンタルが始まっているようなので、映画を見る前に再読。
この時代は、多くの人(特に農民)は満足に食べることもできず、病気になっても薬はなく、厳しい年貢の取り立てに追い立てられる、という、生きてること自体が苦行の時代です。そのような苦しい中で、キリスト教は「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」という、
苦しむことが逆に快楽
という、価値観がひっくり返った考え方により、この苦しい時代の人たちの苦しみを救っていた(ごまかしていた)訳です。
でも日本を統治する立場からしたら、(無知な)農民がよくわからない考えに洗脳されてコントロールが難しくなりそうだし、キリスト教を広められて占領されるかもしれないし、日本人は奴隷として連れていかれるし、などなどで禁教扱いにしてしまいました。まあ、わからなくはないけど。
禁教になり弾圧されるようになると、「なんのために、こげん苦しみばデウスさまはおらになさっとやろか」というキチジローの言葉が表すように、
苦しみの価値を逆転してくれるキリスト教を信じる → 禁教になり弾圧される → 踏み絵とか拷問とかでさらに苦しい状況に追い込まれる
というさらなる苦しみスパイラル状況に追い込まれていきます。
このお話では主人公は「神の試練だ!」と「試練が厳しすぎるよ!」という間で、さらに信心を試される訳ですが、読んでいてとにかく興味が湧くのは、
・神は何も言わないのに、
・神の国にいけるかどうかは各自の信心次第
という「無茶ルール」を、どうして人間の脳は採用してしまうのか、ということなのです。
あと、ラテン語圏と日本語圏で(中国語圏でもいいけど)、同じ何かを信じるのは、思考ルール(言語ルール)が異なるためムリでしょうね。
マックス・ウェーバーを読む & 職業としての政治
今回は、マックス・ウェーバー先生を読んでみました。
名前は有名ですが、文系の世界で偉い人、くらいしか基礎知識はありません。
文系の人は必須で読んでたりするんですかね。
理系におけるラプラス変換みたいな。ちょっと違うか。
ということで、まずは、入門書から読みます。
ワタクシ、とあるジャンルに入るときは、「猿でもわかる・・・」とか「図解・・・」みたいな入門書から入ることにしています。
いきなり岩波文庫読んでも理解できないと思ったので。
入門書として「マックス・ウェーバーを読む」を選んでみました。
この本は、マックスウェーバーの著作をそれぞれの章で紹介する、という形式を採っています。
e.g:第一章:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
第二章:職業としての政治&官僚制
・・・
<感想>
・本を各章で紹介する、という構成は読みやすい。それぞれ紹介されている本を読みたくなる。
・キーワードにいちいちドイツ語がついているのは邪魔。。
『「正当な暴力行使die legitime Gewaltsamkeit」の問題と繋がってくる。』とか、
『「観点Gesichtspunkt」の一面性を忘れてしまうことになるわけである。』とか。
この学術ドイツ語?いらなくない?
・この世界では、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をプロ倫と略すらしい。こちら葛飾区亀有公園前派出所→こち亀 みたいなもんか。
ということで、step upして次に「職業としての政治」を選択。
マックスウェーバーの数ある著作の中でこの本を選んだ理由は、「薄い」からです。(プロ倫は分厚い)
<面白いところ抜粋>
『国家とは、ある一定の領域の内部でーこの「領域」という点が特徴なのだがー正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である。』
まず、国家ってのは、住んでる人が領民に暴力を行使していいよ、って認められた団体って言っています。
『国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。・・・正当性の根拠として三つ・・・「伝統的支配」「カリスマ支配」「合法性支配」』
そして国家ができたとしても、続くためには、習俗的な、慣性の働いた伝統や、カリスマ性、あと合法的支配の3つが必要だそうです。
昭和天皇なんかは、伝統&カリスマが五つ星、ってな感じですかね。
『どんな支配機構も、継続的な行政をおこなおうとすれば、次の二つの条件が必要・・・服従する人的な行政スタッフと物的な行政手段』
そらそうか。
『官吏として倫理的にきわめて優れた人間は、政治家に向かない人間、とくに政治的な意味で無責任な人間』
政治家が決めたことを、自分の信念として実行しろ、と。まじかー。
あと近代国家では、官僚は物的行政手段を持っていないってのも、
面白かったです。でも、中国共産党の官吏は土地とか金とか持ってるんじゃなかろうか。(勝手な想像)
あそこは近代国家とは言わないのかも。
まあ、とにかく名言、至言が多くて、面白いです。
ことある毎に読み直します。