或る地方公務員の読書録

行政やテクノロジー、その他実用書について、技術者、自治体職員の視点から感想文を書いています。

アフリカ 苦悩する大陸:社会の仕組みは簡単には変わらない

アフリカ 苦悩する大陸

 

本書は10年以上前の本ですが、今でも世界的に見ればアフリカの多くの国は、貧困から抜け出せていません。

 

この原因を一言で言ってしまうと、「政府がまともに機能していない」ということに尽きます。

 

政府は、基本的にみずから富を生み出すことはありませんが、国民が自分たちの力で富を創造できるように、環境を整えることはできます。

 

しかし、アフリカの貧しい国々においては、政府は、富を創造できる環境を整える(市場経済を活性化させる)どころか、

むしろ逆に一部の既得権益者に有利な法律を作ったり、せっかくの資源があっても政府関係者が独占したり、海外からの援助を配分せずに自分たちの懐に入れたり、結果、紛争を起こしたり…と、まるで漫画や映画で見るような典型的な悪政を行い、市場をかく乱させ停滞させています。

 

なぜこのような悪政を行う政府が生まれてしまうのか。

 

一番の原因は、

 「各人の正式な所有権が認められない(契約がまともに機能していない)」

ことに因るのではないかと思います。

 

所有権が不明確ということは、逆に言えば、誰もが所有権を宣言することができます。

不動産を持っていても、いつどこかの権力者に取られるかわからないのです。

 

そんな社会では、誰もが、自分の目の届く範囲でしか経済活動を行いません。

信用経済が成り立たず、多くのものを自分で調達、販売、消費しなくてはなりません。

財産を他人に貸したり、お金を借りるために財産を担保にすることもできないため、分担して生産性を上げることができません。

 

結果的に、目の届く範囲しか信用ができない社会は、市井の人々だけでなく、政治家たちも同様に、自分たちの周辺しか信用しない社会を生み出している気がします。

 

ただ、誰もが順守するような財産法を作るのは簡単なことではない、ということも本書を読むとよくわかります。

 

財産法を、ただ作るだけではなく「使われる」社会になるためにには、遵法精神を始めとした合理的な近代社会が前提となるからです。

これはいきなりはやってこないでしょう。欧州でも、ルネサンスから紆余曲折を経て今の市場経済を作り上げていますし、日本も長い期間を経ていることは同様です。

 

私たちは、近代国家の多すぎる制度に嫌気がさすときもありますが、本書を読むと、生活の安定や安全を確保する「まともな」社会を当たり前のように享受できることに感謝したくなります。

 

ただ、それでも本書の最後の結論を読むと、どんな社会においても希望が持てるのだと感じます(長いですが引用します)。

南アフリカの農村地帯では)多くの青年たちが学業を放棄し、近隣の村を焼き滅ぼすことに明け暮れて青年期を過ごした。何万人という人々が血みどろの暮らしを堪え忍びながら育ったため、今や内面に傷を負い、職に就くこともままならない状態だ。だがそんな苦しい状況のなかからも、多くはこつこつと厳しい努力を重ね、貧困から脱出するために自助努力を始めている。

 

私が一番時間をかけてじっくり話を聞いたのは、地元の戦闘に参加したひとりの元兵士だった。ネクタイを締めた回数よりも、ずっと多くの死の場面に遭遇してきた十九歳のこの青年は、紛争が終結すると、鶏を育て、つぶし、調理して売る仕事を始めた。夢は大きかった - 事業を拡大し、金を貯め、子供たちを大学まで行かせたい。南アフリカ人も一生懸命働けば、日本のように豊かになれるのだと、この青年は私に言った。

 

日本人は西洋に追いつくまで一世紀も苦労を重ねたのを知っているかと、私はちょっと知ったかぶりして忠告してみた。青年はただ肩をすくめて言った。

 

「僕らにだってできるさ。それになんといっても、戦いなんかしているよりも、鶏を育てているほうがずっといい」

 

アフリカ 苦悩する大陸

アフリカ 苦悩する大陸