日本経済入門(野口悠紀夫)
書名のとおり、いくつかの経済指標を用いながら日本の代表的な問題点を挙げている本です。
以下、目次からいくつか抜粋。
・ 経済活動をどんな指標でとらえるか(GDP)
・製造業の縮小は不可避
・物価の下落は望ましい(&円安は日本の労働者を貧しくする)
・(高齢化に伴う)深刻な労働力不足
・膨張を続ける医療・介護費
・公的年金が維持不可能
目新しい内容はありませんが、どれも基本的で根本的なものなので、再確認する価値はあります。
個人的には、製造業の縮小が不可避、という点については、ワタクシがかつて自動車メーカーの新車開発や生産部門に所属していたため、肌感覚としても強く同意するところです。
日本における製造業は、高度成長期に同時に成長、拡大したこともあり、
例えば「ものづくり」という単語は、実態以上の妙な物語を含んだ意味を持っています。
ただ、製造業が成長した実態というのは、
高度成長期に日本の人口と需要が増え、
また同時に人件費が安かった
ことが大きな要因であって、発展途上期に製造業が成長するのは、中国や東南アジアを見ればわかるとおり、日本に特有の話ではありません。
なのに、無理に「ものづくり」という物語に固執すると、生産部門においては人件費の安い国との原価低減勝負(しかも人件費でハンデ有)に巻き込まれてリソースを浪費してしまいます。
百歩譲って、日本人なものづくりが得意だとしても、コツコツ決められた生産を規格通りに大量に行うことというよりも、自動車の設計・開発のような
「限られたスペースの中で、多くの担当者が利害をすり合わせながら最適解を出す」
というムラ社会的組織内の調整能力だと思います。
例えば、自動車の開発中に
「ヘッドランプを締めているネジの位置を1mm外側にずらす」
とするだけでも、
デザイン部門、ヘッドランプ設計部門、ボディ骨格の設計部門、実験部門、ボディの生産部門、組立の生産部門
たちが利害調整をしないといけません。
自動車の開発においては、
それぞれの部署の持つ機能が
他部署の影響を受けないように
機能を極力独立させる
という水平分業化がどうにも困難なようで、新車の開発中には各担当者が調整作業にものすごい工数を割いていました。
欧米の開発者たちも、もちろん利害調整作業(事前打ち合わせ、すり合わせなど)は行うのですが、調整の質と頻度においては、日本人の比ではありません。
ただ、このムラ社会的調整能力は、本書の第11章で提言されているような「新しい技術で生産性を高める」ことに寄与するかというと疑問です。
google, apple, facebook, amazonが提供するサービスは利害調整の結果出てきたものではないと思うからです。