沈黙(遠藤周作)

f:id:n187421:20170813173338j:plain

 マーティン・スコセッシの「沈黙」のレンタルが始まっているようなので、映画を見る前に再読。

 この時代は、多くの人(特に農民は)満足に食べることもできず、病気になっても薬はなく、厳しい年貢の取り立てに追い立てられる、という、生きてること自体が苦行の時代です。そのような苦しい中で、キリスト教は「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」という、

 苦しむことが逆に快楽

という、価値観をひっくり返す考え方により、この苦しい時代の人たちの苦しみを救っていた(ごまかしていた)訳です。

 でも日本を統治する立場からしたら、(無知な)農民がよくわからない考えに洗脳されてコントロールが難しくなりそうだし、キリスト教を広められて占領されるかもしれないし、日本人は奴隷として連れていかれるし、などなどで禁教扱いにしてしまいました。まあ、わからなくはないけど。

 禁教になり弾圧されるようになると、「なんのために、こげん苦しみばデウスさまはおらになさっとやろか」というキチジローの言葉が表すように、

 苦しみの価値を逆転してくれるキリスト教を信じる → 禁教になり弾圧される → 踏み絵とか拷問とかでさらに苦しい状況に追い込まれる

というさらなる苦しみスパイラル状況に追い込まれていきます。

 このお話では主人公は「神の試練だ!」と「試練が厳しすぎるよ!」という間で、さらに信心を試される訳ですが、読んでいてとにかく興味がわくのは、

 ・神は何も言わないのに、

 ・神の国にいけるかどうかは各自の信心次第

という「無茶ルール」を、どうして人間の脳は採用してしまうのか、ということなのです。

 

 あと、ラテン語圏と日本語圏で(中国語圏でもいいけど)、同じ何かを信じるのはムリですよね。

マックス・ウェーバーを読む & 職業としての政治

今回は、マックス・ウェーバー先生を読んでみました。

マックス・ウェーバー

名前は有名ですが、文系の偉い人、くらいしか基礎知識はありません。

文系の人は必須で読んでたりするんですかね。

理系におけるラプラス変換みたいな。ちょっと違うか。

 

ということで、まずは、入門書から読みます。

ワタクシ、とあるジャンルに入るときは、「猿でもわかる・・・」とか「図解・・・」みたいな入門書から入ることにしています。

いきなり岩波文庫読んでも理解できないと思ったので。

 

入門書として「マックス・ウェーバーを読む」を選んでみました。

f:id:n187421:20150404181225j:plain

この本は、マックスウェーバーの著作をそれぞれの章で紹介する、という形式を採っています。

e.g:第一章:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

  第二章:職業としての政治&官僚制

  ・・・

<感想>

・本を各章で紹介する、という構成は読みやすい。それぞれ紹介されている本を読みたくなる。

・キーワードにいちいちドイツ語がついているのは邪魔。。

『「正当な暴力行使die legitime Gewaltsamkeit」の問題と繋がってくる。』とか、

『「観点Gesichtspunkt」の一面性を忘れてしまうことになるわけである。』とか。

この学術ドイツ語?いらなくない?

・この世界では、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をプロ倫と略すらしい。こちら葛飾区亀有公園前派出所こち亀 みたいなもんか。

 

ということで、step upして次に「職業としての政治」を選択。

マックスウェーバーの数ある著作の中でこの本を選んだ理由は、「薄い」からです。(プロ倫は分厚い)

f:id:n187421:20150404181226j:plain

<面白いところ抜粋>

『国家とは、ある一定の領域の内部でーこの「領域」という点が特徴なのだがー正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である。』

まず、国家ってのは、住んでる人が領民に暴力を行使していいよ、って認められた団体って言っています。

『国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。・・・正当性の根拠として三つ・・・「伝統的支配」「カリスマ支配」「合法性支配」』

そして国家ができたとしても、続くためには、習俗的な、慣性の働いた伝統や、カリスマ性、あと合法的支配の3つが必要だそうです。

昭和天皇なんかは、伝統&カリスマが五つ星、ってな感じですかね。

『どんな支配機構も、継続的な行政をおこなおうとすれば、次の二つの条件が必要・・・服従する人的な行政スタッフと物的な行政手段』

そらそうか。

官吏として倫理的にきわめて優れた人間は、政治家に向かない人間、とくに政治的な意味で無責任な人間』

政治家が決めたことを、自分の信念として実行しろ、と。まじかー。

 

あと近代国家では、官僚は物的行政手段を持っていないってのも、

面白かったです。でも、中国共産党官吏は土地とか金とか持ってるんじゃなかろうか。(勝手な想像)

あそこは近代国家とは言わないのかも。

 

まあ、とにかく名言、至言が多くて、面白いです。

ことある毎に読み直します。

 

 

3/31メモ

文藝春秋1月号 佐々木毅

『私は、今の日本社会には「三重の亀裂」が走っていると考えています。 一つは、富裕層と低所得層という「所得の亀裂」、二つ目が東京圏東京圏以外という「地域間の亀裂」、三つ目は高齢者と若者という「世代間の亀裂」です。』

小谷野敦のカスタマーレビュー

読んではいけないと思いつつ、ブックガイドの類を読んでしまいました。

小谷野敦の文章リズムが私は苦手なのですが、このような短文批評はなぜか読みやすかったです。

f:id:n187421:20150306113321j:plain

<読みたくなった本、見たくなった映画>

素晴らしき日曜日

第五福竜丸

麦の穂をゆらす風

勝海舟

いじめを考える

寡黙なる巨人

脳梗塞になった医者、多田富雄氏の絶望と苦しみ、

そして生の喜びがひしひしと伝わってきます。

f:id:n187421:20150305183506j:plain

脳梗塞になって半身不随の後遺症、と書くと、簡単なのですが、

 

実際は、声を出す、食事を飲み込む、立つ、歩く、などの当り前に

無意識で動いていた筋肉が動かなくなってしまい、生きるだけで絶望的な苦しみが著者を襲います。

 

ただ、この本は、病後の苦しみや、日本の医療(というかリハビリ制度)の不備を指摘している訳ではありません。

 

「病という抵抗のおかげで、何かを達成したときの喜びはたとえようのないものである。初めて一歩歩けたときは、涙が止まらなかったし、初めて左手でワープロを一字一字打って、エッセイを一篇書き上げたときも喜びで体が震えた。

 今日は「パ」の発音が出来たといっては喜び、カツサンド一切れが支障なく食べられたといっては感激する。なんでもないことが出来ない身だからこそ、それが出来たときはたとえようもなくうれしいのだ。」

 

 

私も先日、人生ベスト3に入る二日酔いになり、終日、吐き続けて痛感しました。

「健康のためなら死ねる」

 

多田さん、ごめんなさい。

敗北を抱きしめて(上巻)

とうとう読み始めました。

本書は、戦後の大混乱の中を、いろんな日本人がいろんな生き方をしていた、ということをそれこそ小説、音楽、風俗、いろんな資料を基に教えてくれます。

f:id:n187421:20150305174802j:plain

上巻を通して感じたことは、アメリカの押し付け民主主義を、日本人たちは混乱しながらも明るく受け入れた、ということです。

そしてその日本人たちはなんだか、「明るく無邪気」です。

日本人たちは敗北を抱きしめながら、傲岸不遜なアメリカの思惑と化学反応をしながら、日本的民主主義ができていきます。

 

さて下巻へ

 

<面白かったところ>

・日本と連合国の戦争は3年8か月なのに対して、占領期間は6年8か月と約2倍。

  (改めて言われると確かに長いなーと思いました)

・日本占領はアメリカ一国によって為され、被害を受けたアジアの人々は関われなかった。

・アメリカ人たちは、この敗戦国の政治、社会、文化、経済の網の目を編みなおし、しかもその過程で一般大衆のものの考え方を変革するという、他国を占領した軍隊がかつてしたことのないような企てに取りかかった。

軍国主義というイデオロギーは戦後すぐに捨てられた。イデオロギーがどんなに脆いのかを教えてくれる。

東南アジア、太平洋の兵士の死因第一位は餓死、に加えて、戦後、本土の国民も飢えで餓死している。とにかく飢餓だらけ。

  (昔から気合と根性やなー)

・日本人は、敗戦までのほとんど百年近い間、根本からの変化をつねに予測し、かつその変化に適応するように訓練されていた。

ニッポン景観論

「愛しているなら、怒らねばならない」という白洲正子の言葉通り、怒りながら皮肉をまぜて「美しくない日本の景観」をとにかく挙げ連ねています。

f:id:n187421:20150305170353j:plain

電線、鉄塔、看板、広告、コンクリート土木、周りと調和していない建築物・・・

全九章のうち、一章から七章までは怒っています。

さすがにこんなに怒られると疲れました。皮肉多いですし。

 

でも確かに私も日本の景観については、

「日本の風景って、無規則で方向性なくて、でも細かい隙とか段差はきれいなのに全体として見たら破綻しているなぁ。あと原色だらけの看板が溢れててうっとうしさ満点。」

とは思っています。

ただ、そうは思いつつ、

「ま、こんなのアジアンな混乱景観もいいんやない?」

などと勝手に思っていました。

 

が、著者はこのような開き直った考えにも怒ります。

「混沌こそアジアという自己嫌悪の思い込み」「その理屈はモダニズムを推進する学者の言い訳」「シンガポール、マレーシアの都市景観は混沌としていない」

 

そこで、八章で著者の提案に移ります。

「これからは観光業」「景観工学ってのがあるんだから、適用させよう」

と書いたと思ったら、八章の終わりでまた怒っていました。

 なんだか、可愛さ余って憎さ百倍、を思い出します。

日本好きなんだろうなぁ。

 

でも、やっぱり日本人は街並みサイズでデザインを統一させるのって苦手なんじゃないか、って気がします。なんとなくですが。

細かいの、例えばビルひとつ、家ひとつは得意だと思いますが、

大局的にビル、家、道路、自然の組み合わせ、ってなると、、、どうなんでしょう。

 

 

最後に、最終章で著者が関わった再生プロジェクト(京都、小値賀、祖谷)を紹介していました。

長崎県小値賀に行ってみようと思いました。

 

<よかった言葉>

・「犬馬難 鬼魅易」(けんばむつかし きみやすし)

  ← 犬や馬(ありふれたものを周りと調和させながら)は描きにくく、

    鬼(奇妙で単独で目立つもの)は描きやすい

・観光業は、その土地に景観の美しさやロマンがあるか、その美しさとロマンを今に伝えられているか、が大事。